教育への支援

石橋正二郎は教育の向上に常に強い関心を寄せていました。
その端緒となったのが、1928年、39歳のときの九州医学専門学校(現・久留米大学)創設支援です。当時、文部省が全国に医学専門学校の新設を決定し、九州各地では誘致合戦が始まっていました。郷里・久留米の市長と市会から、学校用地と校舎を寄付する条件で申し込めば競争に勝てる、と懇請を受けた正二郎は全額寄付を即決。経営する日本足袋会社を通じて、学校用地一万坪と、当時としては斬新なコンクリート建築の校舎を寄贈しました。

久留米大学本館
久留米大学本館

戦後に入ってからは、商学部と附設高校開校のための土地と建物をブリヂストンより寄付し、同校は久留米大学へと発展しました。また、正二郎は1951年から理事長を務め、熱心に学校経営にもあたっています。

この他にも故郷・久留米に対し、子ども達の楽しみと体育向上のため全市の小中学校に水泳プールを建設寄贈したほか、さまざまな学校施設・教育活動への寄贈や助成を行いました。郷里以外にも、東京への小学校用地の寄付や、学習院大学の校舎拡張、津田塾大学の造園など、教育の向上のための数々の支援を行っています。

久留米大学に建立された石橋正二郎像
久留米大学に建立された石橋正二郎像